夏休み期間中の読書
今日から夏休みに入ったので、本を読もうと思う。
積んでいた1冊とアマゾンで購入した3冊の本を読む。
タイトルは以下の通り。
学生時代は時間が余っていたため、1日に1冊は本を読んでいたのだが
社会人になってから殆ど読めていなかった。
【積んでいた本】
・自省録
当時書かれた本に興味を持ったため購入。
コロナ前は仕事が忙しく読書をする時間がなく、積んでいた。
【Amazonで購入した本】
・人柱の話
民俗学に触れることが出来そうなので購入。(Unlimitedで0円)
・孫氏
読んだことがなかったため。
一般教養を得るために読む。
・悪の論理
地政学に触れてみたかったので購入。(Unlimitedで0円)
パラドゲーで地政学に興味を持った。
本書は入門書として有名らしい。(無知ゆえ知らなかった)
幼少期に留守番をした話
以下の記事の中で、ワンルームアパートに住んでいたことに触れたが、当時の生活を少し思い出しながら書いてみることにする。
離婚した母は、看護学校に通いながら准看護師の資格取得を目指していた。
収入のない人間が住める所は限られていて、母は病院から奨学金※を貰いながら病院の寮に住むことを選んだ。
(※資格取得後に、数年間病院で働くことを条件に貰える奨学金がある)
寮は風呂トイレ共用のワンルームで、夜になると廊下の電気が消える建物だった。
深夜まで勉強をしていた母の姿を思い出すことができる。
(母の勉強時間中は、私も勉強するよう言われていたので、嫌でも忘れられない。私も深夜まで勉強する必要があったため。)
数年後、准看護師の資格を取得した母は生活費を稼ぐべく働き始めたのだが、
親子で生活するためには夜勤も必要だった。
金が無かったため、どこかに私を預けることは不可能で、
小学校に入学する前ではあったが、一人で一夜留守番をしなければならなかった。
絶対に火を使うな、弁当は用意した、困ったら勤務先まで来い、と言われた私は母を見送った。
正直、母が不在のほうがテレビが見れたり、好きなことができるので嬉しかったのだが
、1点だけ嫌なことがあった。
それは、廊下の電気が消えてトイレに行くのが怖かったこと。
住んでいたアパートは虫がよく出現するし、トイレに到達するまでには、長く暗い廊下を歩いていく必要があった。
成人した今では、トイレに行くだなんて余裕なのだが、当時は本当に怖くてトイレを我慢していた。
何時間も我慢できるはずがなく、部屋にあったおむつ等々を活用して一夜を乗り切った記憶がある。
ただ、我が家は貧乏なので、おむつを買う金も惜しかったのだろう。
親にめちゃくちゃに怒られた。
この記憶が、人並みの生活をしたいという欲に繋がっていく。
態度が変わる話
私は初対面の人間に嫌われる傾向がある。
私が無表情気味で暗いから、ということもあるだろう。
昔からそうだったし、見た目や性格に関しては、努力していない私に原因があるので正直気にしていないのだが、社会人になって利害関係が発生するようになってから態度を変えられることが増えてしんどいことがある。
最初は冷たい態度だったのに、勤務先や立場を知った瞬間にフレンドリーになる。
会話の節々に、自分の希望を織り交ぜてくる人たち。
色々な気持ちが混ざって辛い。
私が仕事をやめるまで続くのだろうが、そういう意味では終りが見えているので良いのだろうか。
私が知らないだけで私以外の人たちも同様の経験をしていたのだろうか。
(誰しも経験すること?)
いかんせん、今まで羨まれる要素ゼロの人生だったので、よくわからない。
リアル世界では吐き出すことができないのでブログに書いてしまった。
水浸しの畳
小学生の頃、川の近くに住んでいた。
母子家庭だった当時、経済的な問題があり、住めるところは川の近くに建っている市営団地しかなかったのだが、それまで住んでいた場所が風呂トイレ共用のワンルームだったため、幼心に非常に嬉しく感じていた。
団地の側の川沿いには、住宅がいくつか並んでいた。
友人の家もその中にあったため、よく遊びに行っていた。
台風や大雨がやってくると川が増水し、住宅が浸水する地区だった。
友人の家も浸水していた。
私の住んでいた所は団地の最上階だったため、浸水している状況を心配しながら見ていた。
浸水の翌日は、家の扉に畳が干される光景が当たり前だった。
最初は驚いていた私も徐々に慣れてきた。
そして、物を知らなかった私は、台風がやってくると戸建の家は浸水するのが普通だ、という認識を持ってしまったのだが、年齢を重ねて誤認識であることを悟る。
数年が経ち、友人のお母さんに某宗教に勧誘されたり、発言に疑問を抱き始めた頃、私は別の場所に引っ越すことになる。
宗教に勧誘された話は後日書く予定。
フォトウェディング②
7/31に投稿した内容の通り、フォトウェディングをしている結婚式場に行ってきた。
行く前は非常に憂鬱だったのだが、営業マンの対応が非常に勉強になったので、結果的には行ってよかったと思った。
特に、人に不快感を与えない距離の詰め方がどんなものか知ることができたのが良かった。
2時間ほど観察していたのだが、以下の3点が好印象を与えているように見えた。
・相手に不快感を与えない見た目であること(清潔感等)
・言葉の使い方を真似すること(語彙力や単語の使い方)
・不快感を与えないレベルの雑談を取り入れること
普段の仕事では、エンジニアと接することが多く、ガチの営業マンとやり取りすることは少ない。
知識がなければ、たとえ客であろうとボロクソに言われることが多い仕事なので、チヤホヤされることが気持ちよかった。
(結婚界隈の知識がなかったので、ボロクソに言われるのではという不安を抱いていた。)
社内の他部門(非エンジニア)とのやりとりにも使えそうなので、可能な限り真似したい。
肝心のドレスは、正直違いが分からなかった。
白いドレスだし、キラキラしている生地で、根暗の私にはすべて眩しく感じる。
とりあえず、衣装合わせの場でプロに任せようと思った。
式場の係員の対応については、フォトウェディング当日も勉強になりそうなので、今後が楽しみである。
母子家庭団地育ち
2歳の頃、親が離婚し、ワンルームアパートや団地を転々としながら母親と暮らしていた。
金はなく、風呂は2,3日に1回だった。
食事は白米に醤油を掛けて食べていて、常にひもじい生活だった。
性格は根暗で友人は少なかったが、本を読むのが好きだったので、学校の図書室に入り浸っていた。学校の成績は悪くなかった。
運も良かったお陰で、今では平均年収程度を稼げるようになった。
最近結婚した夫の年収を合算すると、それなりの生活ができる状態である。
しかし、私の心に染み付いた貧乏への恐怖は消えることはないだろう。
あの頃の生活に戻りたくない。
夫とも今は仲が良いが、いつか離婚してしまうかもしれない。
結婚したことで親戚が増えたため、金銭トラブルが発生するリスクも増えているように思えてしまう。
今はとても良くしてくれる人たちだけれど、災害・倒産・その他トラブル等々で人はすぐ変わる。
リアル世界の人間関係が広くなるほど、貧困のリスクが高まると考えてしまう人間になった。
この思考は死ぬまで変わらないだろう。